メガネ君がどんどんダメ人間になっていく過程を生暖かく見守るサイト。


by rockaway-beach

カテゴリ:SS( 7 )

もう一人いる

 今、我々を取り巻く自然界の一部が、不思議な身動きを始めようとしています。そうです、ここは全てのバランスが崩れた、恐るべき世界なのです。これから三十分、貴方の目は貴方の身体を離れ、この不思議な時間のなかへ入っていくのです……



 啓太は引っ込み思案な性格で、小学校でも友達の多いほうでは無い。昼休みは図書館に入り浸るような生活を送っており、放課後は学習塾に通っているため、友達と遊ぶようなことも滅多に無い。

 ところで、啓太の通う塾にも、勿論学校にもテストは存在する。啓太の母は俗にいう教育ママさんなため、少しでも点数が落ちると烈火のごとく怒るのである。

 啓太は憂鬱であった。今回、両者のテストは重なっている。それがまた、啓太の憂鬱を加速させた。自室で参考書を広げているが、全く頭に入ってこない。
「はぁ…… 学校、行きたくないなぁ……」

 呟いてみるが、それが何の慰めにもならないことを、当の本人が一番良く知っていた。

 覚悟を決めて、参考書に集中する。だが、頭に何も入らないのは同じである。

 鉛筆を放り出し、ふと、後ろを振り向いた。その行動は、本当にただの思い付きだった。振り向けば、そこにはドアしか無いはずだった。

「うわぁぁぁ!」

 そこには、自分が立っていた。鏡を見ているとしか思えないほどそっくりな啓太が立っていた。

 驚いたのもそこそこ、啓太はそれに向かって話しかけた。

「き、君は?」

 それは一瞬の間を置いて答えた。

「僕は君だ」

 当然といえば当然の答えに、啓太は少しだけ落ち着いた。そんな啓太に、一つの思い付きが生まれた。

「ねぇ君、僕の代わりに、塾と学校へ行ってくれないか?」

 それは躊躇いも無く首肯した。



 それからというもの、啓太はもう一人の自分(以降は便宜上、K’と呼ぶことにする)を学校に行かせ、自分はその間、外で思い切り遊ぶことになった。

 K'が登校したあとで街に繰り出し、駄菓子屋でたくさんお菓子を買い、ゲームセンターで豪遊する。そういった生活を一週間繰り返した。

 財布が心もとなくなった啓太は、母親にお小遣いをもらうため、うっかりK'が帰宅する前に帰宅した。

 母はいつもどおりに台所に立ち、夕飯の準備をしていた。

 少し緊張した面持ちで、啓太は母親に切り出した。

「ねぇママ…… 今月のお小遣い前借したいんだけど…… 駄目かな?」

 振り向いた母親は、酷く奇妙な顔をして言った。

「ねぇ君、どこの子? どうやって家に入ってきたの?」

「ママ、ふざけないでよ…… 僕が悪かったからさ、だから……」

「ちょっと止してよ…… 気持ち悪いわね、警察呼ぶわよ」

 嘘だろ、と呟き、啓太はその場から逃げ出した。

 外に出、一目散に駆け出す。とにかく啓太は混乱していた。何故母は自分の事を忘れてしまったのか。何をどう考えても理解できなかった。

 ろくに前も見ず走っていたため、誰かにぶつかった。相手はクラスメイトの男だった。

 わけも分からず、啓太はまくしたてた。

 しかし、この少年も啓太のことを薄気味悪い目で見るだけだった。



 しばらくして、啓太は公園のブランコを一人揺らしていた。誰も自分の事を覚えていないのである。

 あれから何人もクラスメイトや塾の友人と出会ったが、誰も自分のことを啓太だと認識してくれなかった。K’のほうをむしろ「啓太」と認識しているふしすらある。

 とにかく、啓太は孤独だった。所持金も少ないし、家に帰ることも出来ない。どうするべきか本当に分からなかった。

「啓太かい?」

 今日始めて、自分の名前を呼ばれた。啓太は信じられない様子で振り向いた。特徴的な眼鏡が輝いた。そこにいたのは、クラスでも自分と仲のいい、博士という名の少年であった。

 啓太は博士に泣きついた。博士は冷静に、まずは自分の家に行こうと提案した。



 博士の家に来たことは何度かあった。しかし、博士の親に黙ってあがりこんだのは初めてだった。

 博士が気を利かせて持ってきた麦茶をすすりながら、啓太は今まで、自分に起きた出来事を話して聞かせた。

「ふぅん、それはカルコニアの仕業だね」

「カルコニア?」

 聞きなれない単語を聞いて、啓太は思わず聞き返した。博士が名前の通りに物知りなことは知っていたが、ここまでわけの分からない単語を出されるとは思っても見なかった。

「カッコウとかホトトギスって知ってる?」

「そりゃあ、名前くらいは」

「これらの鳥はね、自分で卵を育てずに、他の鳥の巣に卵を植えつけるんだ。托卵って言うんだけどね」

 なるほど、とは思ったが、それが自分に起きた不思議な出来事と、どう関わり合うのかは謎だった。

「それがどうしたんだよ?」

「話は急ぐものじゃないよ啓太。カルコニアってのは、このカッコウが進化した怪獣のことさ。人間の家庭に、さも自分がその家の住人であるかのように入り込み、成体になるまで寄生し続ける。最近、突然行方不明になった高校生や大学生が多いだろ? あの大半はカルコニアさ」

 そういう博士の言葉に、啓太は反論する。

「でも人間と鳥は違うぜ? 自分の子供と怪獣を見分けられないなんてことがあるのかよ?」

 博士がニヤリと笑った。

「その点がカルコニアの進化したところさ。最初はその家の住人の一人に擬態し、家庭に進入する。それから先は、汗腺から分泌されるフェロモンと可聴域を超えた音波で、自分がその家庭の子供であることを強制的に認識させるのさ。一週間もあれば洗脳は完了する。僕は幸い、風邪を引いて一週間ほど学校を休んでいたから、君が啓太であることを覚えていたということさ」

 啓太は、一つのことに気がついた。自分の未来に関することである。

「なあ博士、それじゃあ僕はいったいどうなるんだ?」

 博士の眼鏡が輝いた。

「普通、カルコニアは擬態する前に擬態した人間を捕食する。いったい何をしたんだい? カルコニアが擬態した人間を生かしておくなんて珍しいにもほどがあるよ」

 啓太の脳裏に、あの日の記憶が蘇った。

「僕は、自分から提案したんだ…… 『僕の代わりになってくれないか』って」

 博士がなるほど、と頷いた。

「自分から納得して身を差し出したのか。なら捕食する意味は無くなるね。カルコニアは雑食だけど、あまり生肉は好きじゃないみたいだし」

 つまり、今の状況は君の自業自得と言うことだよ、と、博士は続けた。

 啓太はがっくりとうなだれた。博士は啓太の肩に手を乗せて言った。

「安心しろよ、僕は君を見捨てたりしない。食事も持ってきてあげるし、僕がいない間もこの家にいてくれてかまわないよ。……そういえば、ご飯がまだだったね。何か適当に持ってくるよ」

 そう言って、博士は部屋を出た。そうだ、部屋の中のものは好きに使ってくれてかまわないよ、と博士は言った。

 啓太は少し気分が悪くなった。何だかんだで疲れていたらしい。現金な自分の身体に苦笑が漏れた。たしか押入れの中には布団があったはずだと思い、押入れの戸を開けた。

 一瞬、何がそこにあったのか、認識が追いつかなかった。そこにあったのは、人一人分の人骨と、見覚えのある眼鏡だった。

《Imagination and special effects series “UNBALANCE” #07 [Another person exists.] fin》
[PR]
by rockaway-beach | 2007-07-07 21:47 | SS
 しがない大学生、舟木雷はオープンオタクである。そりゃもうオープンにも程があるくらいにオタクである。一日中パソコンに触れていることが喜びの大学生である。でも視力はいいのである。ここらへんに筆者は神の理不尽さを感じるのだがそれはどうでもいい。
 とにかく、舟木雷はオタクである。今日も彼は授業が無くて暇だからという理由で、持ち込んだノートパソコンで某大型掲示板のニュース速報板を見ていた。
「よお舟木、相変わらず早いな」
 そんな舟木の後方から声が聞こえた。舟木は振り向かずに声に答えた。
「ああ、寝すぎると起きられないからな、浅野」
 浅野は噛んでいたガムを捨てると、舟木の肩越しにデスクトップをのぞき見た。
「しっかし、お前も飽きないねぇ…… いつもニュー速ばっか見てさ」
「そうでもないさ、たまにゲーム板やアニメ板も見る」
 舟木は答えつつも、ディスプレイから目を離すことは無い。
「ん?」
「どうした?」
「いや、気になるスレッドを見つけてさ…… これだよ」
 舟木は無数に並んだスレッドの中から、一つのスレッドをクリックした。本文には「A市の市街地でガス漏れ?! 三十人が突如昏睡」というタイトルが付けられていた。
「妙な事件だな…… あのあたりに都市ガスは通っていないはずだ」
「ああ、間違いない…… ヘルニアンの仕業だ……」
 舟木はPCの電源を落とすと、ケースに仕舞いこんでそれを浅野に渡した。
「と、いうわけで出席とこれ任せた」
「了解…… まぁいつものことながら、急がしいことだな」
 舟木は苦笑すると、そのまま出口に向かって飛び出していった。

 ところ変わって、T県A市の繁華街である。ここにさわやかな春晴れの日にもかかわらず、黒いレインコートを着てフードを被った男性がいた。周囲の人々はそんな男に奇異の視線を向けるが、男は一向に意に介さず歩き続ける。
 男の正面から、あくびをかみ殺した様子のOLが歩いてくる。昨日から寝ていないのだろう、目の周りの化粧が濃い。その女性は男とすれ違った瞬間に、クラリと倒れた。他にも眠そうな目をした人間はどんどん倒れていく。
「ククク…… みんなオヤスミ…… オヤスミなさいだ……」
 男の半開きの唇からそんな言葉が漏れる。昏睡したOLを助け起こそうとする人間はなく、ただ蜘蛛の子を散らすように人々は逃げ惑った。
 結果、男の周囲には一切の人間が残らず、昏睡した人々だけが、波打ち際にうちあげられた魚のように倒れていた。
「寝る…… 寝る…… みんな寝る…… クヒヒ……!」
 嬉しそうに、三日月形に開いた口からそうこぼす男。その笑みは仲間が増える喜びから生じたものなのだろうか。しかし、男の笑みもそう長くは続かなかった。何故ならば、
「待てぇぃ!」
 相変わらず高いところからこの男が、太陽を背に登場したからである。
「睡眠不足怪人トランキーン! 残業や残った仕事で下手すりゃ徹夜明け、脳みそを栄養剤で無理矢理覚醒させて出勤中のOL、会社員のみなさんを眠らせるなんてなんて奴だ! 見直した! いやしかしそこが問題じゃない! とにかくぶっ倒す!」
 舟木は腰のコルセットに手を当てる。
 丹田は気の中枢、すなわち生体エネルギーであるソードエナジーがもっとも集中する部位である。
 ソードエナジーとは、城南大学の剣崎教授らが発見した新たなエネルギーのことである。発見者である剣崎教授の名前から名づけられた。そのエネルギー変換リアクターを世界でもっとも最初に実用化し、搭載しているのが、舟木雷の腰に巻かれたコルセット、「剣・越(ソード・エクシード)」なのだ。
「行くぞ、≪溶着≫!
 ≪溶着>の叫びとともに、ソードエナジーがコルセットに集中し、素粒子状に変換されたパワードスーツが舟木の身体に装着される。本来介護用に開発されたこのスーツは、装着することにより装着者の身体能力を大幅に向上させる。これを装備した舟木はその瞬間から、しがないオタク大学生「舟木雷」から、謎の組織、ヘルニアンから人類の自由と平和を守る剣高戦士「コルセッター」へと変わるのだ。
「とぅ!」
 高いところから飛び降りたコルセッターは、着地と同時に左の腰から綱のようなものを引き出した。
「コルセッター・レーザー・チェーン!」
 コルセッター・レーザー・チェーン。ソードエナジーを鎖状に変化させ、それを敵にまきつけたり、鞭のように使用したりと何かと用途の広い武器である。周囲に民間人が気絶しているために、コルセッターはあえてこの武器を使い、トランキーンを投げ飛ばして民間人から遠ざけようとしたのである。
「とぉ!」
 投げつけたエネルギーのチェーンがトランキーンに巻きつく。強化されたコルセッターの筋力は限界まで荷物を載せた1000tトラック三台を片手で持ち上げるほどだ。
 チェーンを引き、トランキーンは宙に舞う。空中で変態を行うトランキーン。トランキーンは目と耳が針金で縫い合わされており、体中に生えた「口腔」から催眠音波を発生させているのだ。
 トランキーンの口から可聴域を超えた超短波が発声される。催眠音波をさらに短波にしたものであるが、照射部位をソードエナジーによって一箇所に集中させることにより、敵の三半規管を揺さぶり致命的なダメージを負わせることが可能となっている。
「くっ! あれに当たるわけにはいかない!」
 コルセッターは側転とバック転を駆使して超音波攻撃の照射範囲から逃れる。同時にコルセッター・ビデオビームガンを引き抜き、引き金を絞って攻撃をくわえた。狙いはばらけたが、運よく一発がトランキーンの口の部分に命中した。
「トランキーンが怯んだ……ッ! 今だっ! うおぉ、コルセッター・ソード!」
 コルセッターはレーザーチェーンと同じ場所に内蔵された、コルセッター最大の武器を引き抜く。光り輝くソードエナジーが刀身に集中していくのが肉眼でも見て取れた。
「ソードエナジー、ハイ・ボルテージ! 行くぞ! ≪剣・高・撃(ハイ・ソード・クラッシュ)≫!
 大上段から振り下ろされた一撃が、トランキーンの身体を両断する。断末魔の叫びとともに爆散するトランキーン。
 この世に怪人が存在する限り、コルセッターの戦いは終わらない。戦えコルセッター! 今のところはむしろ単位のほうが心配だぞ!

 薄暗い部屋だった。そこかしこにコードが走っている上、むき出しの基盤や食い散らかされたジャンクフードの残骸が散乱している。
「不味いなぁ…… 予定の半分も消化できてないよ…… 畜生、これもみんなアイツのせいだ……ッ!」
 部屋の中心でそうブツブツとぼやきながらキーボードを打ち続ける男。座っているパイプ椅子が潰れそうなほどの巨漢である。容貌からすると四十から五十歳ほどだろうか。
 その部屋を突っ切って男の背後に音もなく何者かが立った。
「……なんだいツイカンバン。用もないのに僕の部屋に入らないでくれる?」
「報告があります、メタボリック博士」
「どうせトランキーンがやられた件だろ? そんなこと、もうとっくの昔に知ってるよ」
 不快そうなメタボリック博士に対して、ツイカンバンは表情を一切変えずに黙った。
「あー、やだやだ。これで僕の計画がまた遅れちゃうよ。分かってる? これでもう計画の完遂は大体三ヶ月も遅れたよ? 三ヶ月! 三ヶ月あればなにができるかなぁ? 三ヶ月ってあれだよ? 九十二日だよ? それだけの時間が無駄になったんだよ? 分かってる?」
「……」
 黙るツイカンバン。メタボリック博士は溜息をつくと、やれやれといった感じで続けた。
「まぁいいさ、計画に不確定要素はつきものだ。致命的な損害はないし、本筋は順調に進んでいる…… そう、我らヘルニアンの計画はね」
 メタボリック博士はそう言って、にやりと笑った。薄暗い闇の中、やけにその歯が輝いた。
[PR]
by rockaway-beach | 2007-02-25 17:14 | SS
 人類は太古の昔から闇を恐れてきた。―――故に自分が夜道を恐れるのは自然なことである。少年は内心からあふれ出す恐怖をそう弁護した。

 進学塾に通っている彼の帰宅時間が九時を超過することなど日常にすぎない。しかしながら、未だに彼は夜道が苦手であった。以前など猫一匹相手に大声をあげて、たまたま後ろを歩いていた見知らぬ男性に多大な迷惑をかけた経験もある。

 それも仕方がなかろう。少年は背負ったランドセルに押しつぶされそうなくらいの体格であり、年齢もまたそれに準拠していた。

 夜道は嫌だ…… そう心の中で連呼しながら早足で家路を急ぐ少年。その彼の背中に、何かの気配が突き刺さった。

 少年は思わず足を止める。冷や汗が全身をしっとりと湿らせた。

 背後にいるものが何であるのか。真っ先に思い浮かんだ答えは、幼い時分からの英才教育の賜物である理性が打ち消した。そうだ、全てのものは方程式で証明できるんだ…… 証明できないものなどこの世にない、そう、“幽霊”なんて存在しないんだ。

 それは昔から怪談の類いが苦手だった少年が身につけた自己防衛方法だったが、この場合はむしろ逆効果であった。

 背後にいるものが幽霊だと結論付けた場合、少年には一目散に逃げ去るという選択肢しか存在していなかった。しかし、彼は背後にいるものが幽霊でないと断定してしまったのである。

 つまり次の選択肢を選ぶためには、少年は後ろを振り返ってそれが何者であるのか確認しなくてはならなくなったのだ。

 それは非常に勇気が必要とされる行為であった。もはや彼の肺腑には恐怖が満ちており、ひとかけらの勇気を見つけるのにも三分ほどの時間を必要とした。

 奇妙なことに、それほど時間を経ているにもかかわらず、背後の気配は変わらず存在していた。

 少年は荒くなった息を抑えて、目を閉じ、もう一度頭の中で繰り返す。幽霊などいない、幽霊などいない、幽霊などいない……

 勢いをつけて後ろを振り向いた。少年の目に飛び込んできたのは、夜目にも鮮やかなビロードの毛並みの黒猫だった。

「ふぅ……」

 やはり幽霊などいなかったのだ。少年は安心と自己嫌悪がない交ぜになった感情を抱えて、正面を振り向いた。

 そこで、少年の表情は凍りついた。

 それは有り得ないはずの光景だった。少年の目の前、鼻の先がくっつくほどの距離に壁があった。

 黒いビロードの壁だった。ボタンの存在を認めたため、それがコートであることに少年は気がついた。

 見上げると、山高帽のひさしが月を二つに分断していた。

「ヨ……」

 高い場所から呟くような声が降ってきた。どこか不安を煽る罅割れた声であった。

「……え?」


 少年は思わず聞き返した。コートの不審者は少年の感情の機微には頓着せずに、自分の間のようなものを数拍分置いてから言った。

「ヨ、かッタ…… ミつけタ…… 新しイ、トモだチ……」

 不審者はそう言って、少年の顔を指差した。

 少年は勉強や読書、加えてゲームのしすぎで極端に視力が落ちていた。それゆえにこの年齢で牛乳瓶の底のようなメガネをかけていたのである。

 不審者は山高帽を脱ぎ、跪いた。

「……ひ、ひぃ!」

 少年は思わず声をあげた。不審者の顔には大きな眼鏡があった。

 しかしそれはかけていたのではない。ワイヤーで縫い付けられ、顔と一体化していたのだ。その中で泳ぐ瞳は人間の平均的なサイズよりも三倍以上に大きく、瞼が存在していなかった。

「トモだチ…… くル…… いッシょに……」

 その怪物は少年の腕をつかんだ。少年は振りほどこうとしたが、それより先につかまれた腕に走った痛みに反応してしまった。

「い、痛い! 折れるよ! 折れちゃうよぉ!」

 やはり少年の悲鳴には頓着せず、怪物は歩き出そうとした。少年の心を焦燥と恐怖と絶望が包む。

 そのときである。

「待てぇぃ!」

 先程化け物の声がした場所よりも更に高くから、その声は響いた。怪物も少年も思わず足を止め、声のした方向を見上げる。具体的に言えば電柱の上である。

「帰宅途中の少年を拉致し、不健康怪人に改造しようとする悪行! たとえこの中天に輝く月が許しても、この舟木雷の正義が許さん!」

 夜にもかかわらず逆光で姿は判別できないが、少年にとってこれは天の助けであった。

「だ、ダレだかわからないけど、そんなこと言ってないで助けてよ!」

「……ワビサビくらい理解して欲しいなぁ。まあ気を取り直して…… 行くぞ! 視力低下怪人ランドルト! ≪溶着≫!

 説明しよう! ≪溶着≫の叫び声と共に舟木雷の腰に装着されたコルセット「剣・越(ソード・エクシード)」から素粒子状に変換されたパワードスーツが噴出する! それが雷の身体で固体化することにより、雷はコルセッターへと変身するのだ! このプロセスは0.1ミリ秒という極めて短い時間の間に行われる。では、その変身プロセスをもう一度見てみよう!(テーマと一緒にスローモーションの変身シーン)

「とぅ!」

 電柱から飛び降りたコルセッターは、そのままランドルトに飛び蹴りを加えた。衝撃で吹き飛んだランドルトは少年の腕を放してコンクリートの垣根に激突する。

「逃げるんだ!」

 コルセッターがそう口にするよりも早く、少年は逃げていた。

「……なんかやる気失くすなぁ。……むっ!」

 ランドルトが立ち上がった。次の瞬間にコートがいきなり膨らんだかと思うと、一気に破裂した。

 ランドルトの背中からは先端に眼球の付いた触手が大量に生えていた。その一本一本全てが生体レーザー発射口なのである。

「GISYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」

 名状しがたい叫びと共に、ランドルトが生体レーザーを乱射した。電柱が数本纏めて切断されるほどの熱量だ。直撃したら確実に真っ二つである。

 しかしコルセッターにも長距離用の武器は存在する。

「コルセッター! ビデオ! ビーム! ガン!」

 腰に装着された、家庭用ビデオに銃把を取り付けたような銃を引き抜く。これがコルセッター・ビデオビームガンである。威力は9mmパラペラム弾とほぼ同じだが、ソードエナジーという生体エネルギーを銃弾として使用しているため、弾数はほぼ無限である。

 コルセッターはその銃で一発一発、確実に触手を撃ち抜く。

 攻撃手段を減少させられたランドルトは、一気に間合いを詰めてきた。接近戦に持ち込むつもりだ。

 しかしコルセッターにはその程度のパンチは通用しない。本来介護用に設計されたコルセッターの外装には、衝撃を吸収しやすいコルセニウム合金が使用されており、衝撃を限界まで抑えて中の人間を守るコルセイン思想に乗っ取った設計がなされているのだ。

 相手に攻撃は効かないのに相手の攻撃は効く。この状況により、次第にランドルトはダメージを蓄積していき、ついにその手が止まった。

「悪いが、止めをささせてもらう! コルセッター・ソード!」

 コルセッター・ソード。左腰に内蔵された、コルセッター最大の武器である。ソードエナジーを集中させることにより、その威力を大きく調節することが可能だ。

「ソードエナジー、ハイ・ボルテージ! 行くぞ! ≪剣・高・撃(ハイ・ソード・クラッシュ)≫!

 大上段から一気に振り下ろす、コルセッター最大の必殺技である。真っ向唐竹割りに切断されたランドルトは力尽きたように倒れると、そのまま爆発した。

「……ふぅ」

 変身を解く雷。その顔は晴れない。何故なら自分も先ほどの少年も、あのまま組織に改造されていたら、このランドルトのようになっていたかもしれないからだ。

 不健康な人間を改造し不健康怪人を量産することにより世界を征服せんとする悪の組織「ヘルニアン」。その奴等の野望を打ち砕くために、人類の自由と平和と健康を守るために、コルセッターは戦うのだ。

「あのー、すみません」

「あ、はぁ……」

 そんなふうに浸っていた雷の前にパトカーが止まった。

「ここらへんで騒音騒ぎの苦情が来たんですが……」

 ……戦えコルセッター! 負けるなコルセッター! 世間の目は冷たいぞ!
[PR]
by rockaway-beach | 2007-02-06 15:58 | SS

日記

不時着して一日目

 暑い。私がこの星に対して抱いた感想はその一言だ。とにかく暑い。宇宙服を着こんで、なおかつこの船の中に引きこもってはいるが、体感温度は40度に近い。

 この船には冷房設備も備わっているが、迂闊に使用すると生命維持装置に回すエネルギーも失ってしまう。どちらにせよ緩慢に死に向かう運命の私ではあるが、それでも希望を捨てることは私の主義に反した。可能性としてははなはだ低くはあるが、我が愛する母国が私の救助を計画しているかもしれない。

 その可能性に賭け、私は一時の快楽を捨てて、苦痛の生を選ぶことにしたのである。

 現時点での問題は水、食料、この惑星の強烈な外気温、それに加えて外に満ちた高濃度の放射線だ。幸い、この宇宙服には宇宙での船外作業用に対放射線対策も施されている。地球と違い二十四時間周期ではないが、この星にも昼夜の差はある。

 明日の夜、私は船外に出てこの惑星を探索してみることにする。この惑星が生命のいない星でないことを祈るばかりである。



不時着して三日目

 幸いにも、この星には酸素が存在した。そのうえ、この濃度の放射線が満ちた環境にも生命が存在していたのである! 全く予想外の出来事に、私は自身の現在の状況も忘却して興奮した。

 しかし絶望した出来事もある。この惑星には水が存在しない。元から水素が存在しないのか、それとも他の物質で代用されているのかはわからない。とにかく、私が一日で行動可能な範囲では水が存在しないのだ。尿をろ過して水を生成する装置も勿論装備されてはいるが、いずれ水が足りなくなる日は近い。

 放射線濃度は相変わらず濃い。この宇宙船内でも宇宙服を脱げないほどだ。身体中が痒くて仕方が無い。



不時着して五日目

 喉が渇いた。水が無いのがこれほど辛いとは思わなかった。ぼそぼそのレーションを胃に流し込むには水が必要不可欠だ。無理矢理に押し込めば食べられないことも無いが、その代償として貴重な唾液をすべて吸い取ってしまう。

 とにかく喉が渇いた。ああ、地球が恋しい。私は今なら誰かが入浴した風呂桶の水でも甘露に思えるだろう。ああ、これだけ遠くはなれてようやく故郷の大切さが身にしみる。私の故郷は地球だ。最近では夢で故郷の事を見る。しかしガイガーカウンターのメーターが、ここが地球で無いことを示すのである。



不時着して十日目

 神よ! おお神よ! 何故私にあのような恐怖を与えるのか!

 私は酷い喉の渇きに耐えかねて外に出た。既に宇宙服は肌と同じ感覚で着こなせる。私は日陰を選んで歩いた。ここ数日で学んだことで、日陰は日向と違い実に快適なのだ。この星の生物も基本的に日陰に生息している。

 そこにいたのだ! 冒涜的で退廃的な形状をしたものが!

 確かにこの星の生物は故郷の生物たちとは一線を隔した形状をしているが、それでもまだ合理的の範疇にとどまっており、機能美を感じ取ることができる。

 しかしあれは違った! 神よ! 合理性を無視したおぞましい外見を持つあの奇怪な何か! 不定形の触手と糜爛した肌を持った、一見して狂気を感じることのできる何かだ! しかもよく見れば二本の足で直立しているではないか! 人間の下半身に糜爛したイソギンチャクを無理矢理生やしたような、そんなおぞましい形状だ!

 私は恐ろしい。私にできることはこのたった一つの私の領地に引きこもり、一歩も外に出ないことだ。

 おお神よ、私を守りたまえ!



不時着して二十日目

 水がほしい水がほしい水がほしい



不時着して二十日目

 ここ二週間は錯乱状態に陥っていたため、満足に記録を取ることも出来なかったが、今日は何故か精神状態が安定している上に、夢でなにやら奇妙なものを見たので書き留めておくことにする。

 私が眠っていると、私の枕元になにかの気配があった。久しぶりに感じる人の気配のようだった。しばらくして声がした。喋りなれないものが無理矢理我々の言葉を話すようなたどたどしい口調だった。

「私・君・(聞き取れなかった)・シタ・感謝・必要ない・この宇宙・(聞き取れなかった)・皆」

 それだけ話すと、気配は消えた。酷く現実感のある夢だった。



不時着して一ヶ月

 肌と宇宙服が癒着してしまったような感覚がある。表面の温度すら分かるほどだ。

 今日はレーションが底をついたので、外から蛙に似た生き物を捕まえてきた。味は鶏肉に似ている。ひどく美味だ。こんなに美味いものは生まれて初めてだ。

 浄水器とガイガーカウンターが壊れた。もう意味を成さないからかまわない。



不時着して二ヶ月

 最近では正気を保つのも難しくなってきた。気がつけば外に出て、そこらへんの生物をむさぼり喰らっている。とても美味い。理由は分からない。

 不時着して日が三十一回沈んだ。違った、六十二回だった。時間の感覚があわない。もう救助に来てもいいはずだ。理由は分からない。美味い。怒りが湧いた。

 私は正気では無い。理由は分からない。肌がかさかさだ。手入れしなくてはならない。そういえば水を飲んでいない。火は必要ない。



不時着して四ヶ月

(判別が不可能なほどに乱雑な字で書かれている。かろうじて判別可能な単語だけを拾い集めた)

 怒り 感じる

 激しい怒り 

 修理する 宇宙船 破壊

 復讐 炎 焼く



(日にちの記載は無い)

 完成   怒り



最後の記述(文字のかすれから見て、随分前にかかれたものだと推定される)

 この星には名前が必要だ。私が少しでもこの星に愛着を感じるために。放り込まれたこの境遇を甘受するためにも。

 この星は、私の名前から“ジャミラ”と名付けることにしよう。


(以上、科学特捜隊資料部の資料より抜粋した。なおこの文書はムラマツ隊長の許可を得てここに掲載している)
[PR]
by rockaway-beach | 2006-07-25 19:01 | SS
「ねぇ、婚約、解消しない?」

 彼の目の前にいた女性は、安っぽいファミレスのコーヒーを飲み干してから言った。

 彼は水の入ったグラスを口に運んだ。無言だった。

「……何も言わないのね」

 彼女の声は、空気の上に留まった。軽い言葉だった。少しだけ倦怠感が滲んでいた。

 長い沈黙が二人の前に漂った。

「泣いて引き止めればいいのかい?」

 彼はポツリと、そう漏らした。

「正直、凄く動揺してるんだ。泣いて君を引き止められるなら、そうしてる。でも、君の瞳にはもう僕が映ってないから」

 言葉の後半は省略した。グラスはかすかに震えていた。

 彼女はその答えを聞くと、悲しそうな表情をした。

「ごめんなさい。貴方が悪いわけじゃないの。……貴方は素敵な人だから、きっと私よりも、もっといい人が見つかるわ」

「僕としては、別にビジネスライクな関係でもよかったんだけど」

 彼はそこで、一旦言葉を切った。言葉を探すためだった。

「……君は、本当に潔癖な人だね」

 考えた末に出たのは、無個性な一言だった。それに苦笑にならないように努力した、精一杯の笑顔を添えて、彼女に送った。

「……指輪、かえすわ。ねぇ、貴方」

 彼女が指輪と共に彼に渡したのも、また無個性な言葉だった。

「なんだい?」

「これからも、友達でいてくれる?」

 彼は、少しだけ俯いてから答えた。

「今日は無理だ。明日からなら、きっと大丈夫だと思う」

 彼女には、彼の表情は見えなかった。彼は少しの間、そうしていた。顔を上げたときには、彼の顔にはいつもの表情が塗りつけられていた。

「勘定は僕が払うよ」

「悪いわ。もうそういう関係じゃないのに」

「ここを出るまでは、そういう関係だと思わせてくれないか? ……これが最後の彼氏面、なんだからさ」



 店を出て、彼女と別れ、彼は自分の車に乗り込んだ。スターターキーを回してからの記憶が飛んでいた。

 気がつけば自宅の駐車場だった。我ながら、よくもこんな心理状況で事故を起こさなかったな、と、理性のなかの冷静な部分が考えた。

 鍵をあけ、部屋に入る。そしてキッチンでコーヒーを淹れた。

 戸棚からスコッチを取り出し、アイリッシュコーヒーにする。カップは二つだった。一つはコーヒーよりもスコッチの量のほうが多かった。

 それをダイニングのテーブルに乗せる。自分の席の向かい側に、もう一つのカップを置いた。

 そして煙草に火をつけた。なかなか火の付かないライターで、彼女のために禁煙していたことを思い出した。

 カップに口をつける。スコッチ過多のアイリッシュコーヒーはひどく苦かった。

 やがて彼女のカップから湯気が消え、咥えていた煙草も灰になった。

 それで、彼は彼女が自分の元から去ったことを認識した。



 翌日に出勤すると、オフィスに彼女がいた。

「おはよう」

 彼はそう口にした。

「おはよう。早いのね」

 彼女はそう答えた。

 彼女の望みどおりに、彼は友達として応対した。

「けっこう仕事が溜まっていてね。早めに済ませておこうかなって」

 そうとだけ言うと、彼はさっそくパソコンを立ち上げ、仕事にとりかかった。

 彼女もまた、自分の仕事にとりかかる。表面上は何も変わっていないように見えた。しかし彼の傍には彼女はいなかった。



 彼女が昼休みに昼食を食べていると、3人の後輩が寄ってきた。

「先輩、あの人と別れたんですか?」

 質問の内容は、想定の範囲内だった。

「ええ、別れたわよ」

 その一言に、彼女達は嬉しそうな悲鳴をあげた。

「ようやく別れたんですか~ 思ったよりも長かったですよね?」

「私達は三ヶ月くらいで別れると思ってたんですけど」

「先輩みたいな美人とあの人じゃあ、正直、釣り合いが取れませんよね~」

 その言葉に、少しだけ彼女は不快な気分になった。が、既にそういう関係でない自分が彼女達を咎めるのもどうかと思い、黙った。

「先輩の新しい恋人って、専務ですよね?」

「若くてキャリア組でお金持ちでスポーツ万能、そのうえ顔もいいんですから。先輩と並んでると、本当に絵になりますよね~」

「本当、出来すぎのカップルですよ。祝福しますよ、先輩」

 それは事実だった。彼女が現在、付き合っている男性はその専務だった。確かに彼女は、専務には何の不満も抱いていない。寧ろ昨日までの彼氏である彼のほうが、男としても人間としても、魅力に欠けるのは事実だった。

「……でも、彼はスコッチが飲めないのよね」

「え? 先輩何か言いましたか?」

「ううん、なんでもない」

 そう、どうでもいいことだった。スコッチが苦手だからといって、彼女が今愛しているのは専務に間違いは無いのだから。

 だが、彼女がキスの時に、スコッチの、あの独特の苦味がしないことに違和感を覚えるのもまた事実だった。

「本当に、ままならないわね」

 彼女は誰にも聞こえないように、そう呟いた。



 タンブラーに注がれているのは、ジョニーウォーカー黒ラベル。日本人がスコッチといって最も最初に思い出す酒だった。

「で、専務。どういう風の吹き回しですか? 僕と飲むなんて」

 タンブラーの中で、氷がカランと音を立てた。

 専務はマティーニを口に運んだ。

「ここのマティーニは、僕にはドライすぎるな…… うん、一度、君と本音で話がしたかったんだ」

 専務は少しだけ苦笑を浮かべて、続けた。

「僕のことを、怒っているかい?」

 彼は口を酒で湿らせてから答えた。

「怒ってはいません。彼女の選択ですから」

 専務は苦笑をより深くした。

「いい答えだ。……いい答えすぎて、次の質問がしにくくなった」

 彼は専務を、意外そうな表情で見た。

「情けない質問ですか?」

 そう言った彼の言葉に、専務は頷いた。そしてマティーニを飲み干して、ギムレットを注文した。

「酔ってなければできない質問だよ」

 彼もまた、スコッチを飲み干した。そしてもう一杯同じのを注文する。

「僕も酔ってますから、明日には忘れていますよ」

 専務は真顔になって言った。

「……彼女はまだ、君のことを忘れられないみたいだ」

 彼はタンブラーを傾ける。

「正直に言って、僕はいまだに彼女が君を忘れられないことに対して、とてもプライドが傷ついた。言葉が悪くなるが、何故君なんかを忘れられないんだ、と本気で思った。正直、理解できない。何故なんだ? 何で君は、まだ彼女の心にいるんだ?」

 二杯目を飲み干してから、彼は答えた。

「僕にも分かりません。……彼女の、選択ですから」

 彼はまた、同じ返答を繰り返した。専務は大きく溜息をつき、言った。

「ままならないものだね」

 独り言だと分かっていたが、彼は答えた。

「そうですね。本当に」
[PR]
by rockaway-beach | 2006-01-21 10:31 | SS

ガラス越しに消えた夏

 実家に戻るのは五年ぶりだった。季節は夏、蝉時雨が耳に煩わしい。

 親不孝なことに夏休み明けに高校を中退して、その足でパリに飛んで、それから長いような短いような五年間を過ごした。

 自分でも驚くべき行動力だったと思う。なんだかんだで言語の壁も乗り越えれたし。

 玄関で挨拶をすると、記憶にあるよりも少しだけ老けた様子の母と、髪に白いものが混じり始めた父が、こちらが圧倒されるほどに喜んで迎えてくれた。

 実家はほとんど変わっていなかった。自分の部屋はあの日、父から譲ってもらったスーツケース片手に飛び出した時のままだった。

 張り切りすぎた母の料理を胃に収め、久しぶりに自分のベッドに横になった。

 そうすると、机の隣の窓から隣の家が見えた。カーテンを閉め忘れたな、と思った。

 そこは幼なじみの少女の部屋だったはずだ。今は、明かりは消えていた。



 翌日、隣家の家族と会った。彼らは僕の両親の親友だったらしく、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。

 そこにも彼女はいなかった。彼女は大学ですか? と僕は聞いた。

 少し苦味のある声で、結婚したとの返事が返ってきた。

 僕は、それはよかったですねと答えた。

 彼らからは、君がもらってくれたらよかったのにね、と冗談かどうかも分からない返答がきた。

 それは光栄です、と返しながらも、僕は内心、それは無理ですと思った。

 僕の意思はともかく、彼女は僕のことを少なくとも恋愛対象とは見ていなかったのだから。



 それから僕は少しだけ町を歩くことにした。コンビニがなくなっていたり、レンタルショップが中古品販売店になっていたりした。

 公園は時が止まっているかのようだったが、遊具には錆が浮いていた。

 そこに、3歳くらいの少年を遊ばせる、一人の女性の姿があった。周囲には少年と彼女と僕以外に人影はなかった。

 彼女は僕のほうを見た。僕も彼女を見た。

 記憶にある顔だった。僕は笑顔を浮かべて言った。

「君の子供かい?」

 彼女はネガティブな方向に驚いた表情で答えた。

「え、ええ。……いつ帰ってきたの?」

「昨日。ようやく仕事に目処がついてさ、その報告にね」

 相変わらず、彼女はポーカーフェイスが下手だった。僕はそんな“最愛の幼なじみ”に笑顔を送った。

「……僕も君と合うつもりはなかった。でも幸せそうだ。安心したよ」

「そんなことは…… 無いわよ」

 彼女が僕の言葉のどちらを否定したのか、僕には分からなかった。

「あの子、なんて名前?」

「雅義、よ」

 最近の流行に乗らずに、無難な名前を選んだ彼らに安心した。

 僕は彼女に背中を向けて歩き出した。もう彼女には何の用事もなかった。

 だから、彼女に呼び止められた時は、正直に驚いた。

「……待って」

「……どうしたの?」

「あなた、今でも私と夫を怨んでる?」

 声は震えていた。

「怨んではいないよ」

「嘘!」

 檄した声だった。雅義君が驚いていた。

「嘘じゃないさ。……一つ聞くけど、何で僕が君らを怨んでいると思うの?」

「それは……」

「心当たりがあるのかい? 生憎と、僕には無いな」

 僕は今度こそ、本当に公園を後にした。



 五年前の四月だった。

 僕は彼女に告白をした。今では思い出すのも恥ずかしい。

 そこで彼女は答えなかった。

 翌日、彼女と先輩がキスをしているのを目撃した。そういうことなんだな、と思った。

 彼女はそれから数週間後、僕の告白にYESと答えた。

 僕はいぶかしがりながらも、彼女の申し出に乗った。あれは何かの勘違いだったんだな、と思うことにした。

 夏休み前に、彼女が妊娠した。3ヶ月だそうだった。

 今まで仲良くしていた彼女の友人から、本気でバッシングを受けた。彼女の両親からは殴られた。僕の両親にも殴られた。

 しかし、僕は彼女に手も握らせてもらったことがなかった。

 ―――そういうことだったんだな、と思った。



 当事は両親以外、誰にも信じてもらえなかった。彼女の両親の様子だと、彼らもようやく僕の言葉を信じたらしい。

 結局、僕はその夏をフランス語の勉強に費やし、夏の最後の日に機上の人になった。

 窓ガラス越しに夏が消えていった。

 夏の終わりに、また僕は飛行機に乗り込んだ。もうここにはほとんど帰ることは無いだろう。

 加速していく風景を見ながら、また夏がガラス越しに消えていったことを知った。
[PR]
by rockaway-beach | 2005-12-17 14:29 | SS

君が通り過ぎた後に。

 眼鏡が壊れたのが五日前。

 合気道のためにコンタクトにしようかと思っていたので、いい機会だと思ったのが四日前。

 度数を合わせるために、矢神デパートの眼鏡店に行ったのが三日前で。

 それを取りに行くついでに、伸びてきた髪を切ろうと思ったのが今日であった。

 花井春樹は現在のところ、件の眼鏡店にいた。

 初めて眼鏡を外し、コンタクトレンズをはめた。

 鏡に写るぼやけない自分の顔は、まるで他人のように思えた。

 「よくお似合いですよ」と店員が口にする。ただの素顔に似合うも何もあるまい、と花井は思った。

 会計を済ませ、外に出る。眼鏡の時の癖で、つい縁を上げる動作をしてしまう。そしてそこに、慣れ親しんだものが無いのを思い出す。

 ほんの少し苦笑して、花井春樹は理髪店に向かった。

 馴染みの店だったが、今日はどうやら店長は留守で、代わりにあまり面識の無い、若い理容師が店を任されていた。

 ほんの少し躊躇ったが、この程度で予定を変更するのもおかしいと思い、そのまま店内に入った。

 どのような髪型にするかと尋ねられたため、つい「いつものでいい」と言おうとし、すんでのところで「君に任せる」と言い直した。

 そう言った瞬間、理容師の顔が輝いたように思えた。

 小一時間後、正面の大きな鏡に写る自分の姿は、本当に別人のようだった。

 理容師に毒ついてやろうかと思ったが、実際にカットの出来はいいために何も言い返せない。

 結局、そのまま金を払って店を辞した。

 ふと時計を見れば、図書館で自習するには少なすぎるし、かといって家に帰るには早すぎるという、なんとも中途半端な時間であった。

 花井春樹は娯楽を知らない。ゲームセンターや漫画喫茶を利用することがほとんど無いために、そういう場所で時間を潰すなど思いもしなかった。

 小腹もすいていたため、彼は結局、近くにあったスターバックスに立ち寄ることにした。

 コーヒーと軽食を頼み、比較的空いていたため二人掛けの席を占拠する。

 何故か応対した女子店員の顔が妙に紅潮していたことをいぶかしみながら、彼はコーヒーに口をつけた。

 しばらくして、別の客が入店した。反射的にそちらを向いてしまう。こちらの位置は入り口側からは丁度死角になる地点だった。

 まず目に入ったのは、見慣れた制服だった。彼も通う矢神高校の制服だ。それ自体は決して珍しいものではない。彼も学生服だったし、周囲にもニ三、同じ制服が見える。

 その客はカップル連れだった。二人でなにやら頼んだ後に、こちらのほうの二人掛けの席に座った。

 そこで、花井はそのカップルがクラスメイトであることに気がついた。同時に、片方が自身の幼馴染であることにも気がついた。

 周防美琴と麻生広義。クラス公認の美男美女カップルであった。

 彼らは花井に気がついていなかった。髪型を変えたのとコンタクトのおかげで、よほどの仲でも気がつかないほど、花井は別人のような雰囲気になっていた。

 花井は少しばかり違和感を感じた。幼馴染の美琴にである。

 彼女は、彼が見たことも無い表情をしていた。彼に見せたことも無い表情をしていた。

 花井は自分の知らない表情をする美琴と、彼女に自分の知らない表情を出させる麻生に対して、かすかな苛立ちを覚えた。

 そんな自分に気がついて、常に無く驚いた。なんだこれは。まるで嫉妬しているみたいじゃないかと、内心で自嘲する。

 そして、愕然とした。自分は麻生広義に対し、嫉妬していたのである。

 気がつけば、彼らは席を立ち、何処かへと消えていった。

「おい、花井…… か?」

 自身に陰が落ちていることにも気がつかないことに、また花井は愕然とした。

 声をかけてきた相手は、播磨拳児というクラスメイトであった。

 彼の言葉に肯定で返した。彼はサングラス越しに幾分かほっとした表情を浮かべると、そのまま彼の対面の席に腰を下ろした。

「眼鏡もねぇし、髪形も変わってたんで、別人かと思ったぜ」

「無理も無い。自分でもまだ慣れないんだ」
 
 そう言って、軽く笑う。最近では、妙にこの不良と一緒にいることが多い気がする。ともすれば、クラスで一番会話する相手かもしれない。

「で、どうした? 振られでもしたか?」

 こういう、歯に衣着せぬ物言いは好き嫌いがあると思う。花井は美徳であると思うが、多数の人間が悪癖だと思うに違いない。

「……いや、振られたことを再確認した、と言うのが一番正しいな」

 自分もなるべく率直に答えた。そして、言葉にしてみて合点がいった。自分は振られていたのだ、と。

 気づきもしない恋だったが、なるほど、たった今気づいたときには終わっていたのだ。

 無くなってから気づくというのは、なかなかに間の抜けた話だと、花井は似合わぬ自嘲を浮かべた。

「そいつは…… 辛いな」

 播磨も、言葉少なく答えた。

 花井はコーヒーを口に運んだ。すっかり冷めていた。

 いつもの癖で眼鏡の位置を治そうとした。そこで眼鏡が無いことに気がついた。
[PR]
by rockaway-beach | 2005-11-17 21:40 | SS